三岸さん

まずい…大分前に下書きして保存しておいたのをすっかり忘れていた…。
どうも、オリンピックが始まりすっかり浮かれていたにもかかわらずあまり観れていないいなぞふでござんす。週一投稿…とは言えない微妙なスパンをおいての久々の投稿です。
で、前回は三岸好太郎美術館内のTEA ROOM きねずみ にて一服したところで終わりました。もういんじゃない?っていうくらいの間延びしてしまいましたが、その続きを。

きねずみで一服し、いよいよ三岸作品に触れようと受付にて入館料510円を払ったところ、お姉さんが、「今なら、無料で作品の案内を致しますが、如何ですか?」と。こういったものはその背景を知って観るのがより作品を理解できる。よって、「はい、お願いします!」と即答。

一番目の作品の前で待っている事数分、宜しくお願いしますとやってきた上品なご婦人、名前を聞くのを忘れてしまった。

で、この方が三岸好太郎さん

1934年に31歳でお亡くなりになったという事なので、この写真はその約2年前、29歳頃のお写真。迫力がありますね。顔が大きく見えますが、実際も本当に顔が大きかったそうです。とは、ガイドさん談。

家庭環境が貧しかったので、全くの独学で絵を描いていたとか。

こちらは当時付き合っていた彼女。その後三岸夫人となった洋画家、三岸節子さんの肖像画です。お気づきかと思いますが、あの麗子像で有名な岸田劉生を大変尊敬していたらしく、この作品もどことなくそれに似ています。
因みに奥さんの節子さんはとても裕福な家庭に生まれ、女子美術大学を首席で卒業する程の才女だったらしいです。当然の如く、周囲の大反対を押し切っての大恋愛だった様です。
31歳の若さで亡くなった好太郎とは対照的に節子さんは94才の大往生。

説明色々とありましたが、長くなってしまうので、っていうか、既にうろ覚えで自信が無いので、私の気になった絵を数点。

『支那の少女』三岸好太郎が中国旅行をした時に描かれたものらしいです。楽器の胡弓を持っていますね。

『海洋を渡る蝶』蝶が海洋を渡るなんて…と思いましたが、アサギマダラという蝶が海を渡って長距離移動をするらしいです。まだまだ生態も謎な所が多く、その事実が判明されたのは最近の事で、三岸好太郎がそれを知っていたのかは謎です。しかし、壮大な光景でしょうね。

ところで、作品とは別に、この様なものも展示してありました。三岸好太郎が生きていた頃の札幌の古地図です。大分前近所で古本屋展みたいのがありまして、そこで札幌市内の古地図が一枚2000円で売っていて、つい買ってしまいそうになったのですが、やっぱり買っとけばよかったかな…。超萌え萌えだわ。と、興味が明後日の方向に向いそうなので、軌道修正。

え!嘘だろっ?ネット環境の不具合により、折角入力した長文が消えてしまいました。
分かるかな?この衝撃と落胆。

作品をオチにつかってしまった。
しかし、萎えたから〆るわ。また引っ張るのか?三岸好太郎美術館…。

⇒ 三岸好太郎美術館公式ホームページ



うつら、うつら、

お腹に優しいブログ

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いなぞふ

粋で鯔背なおばあちゃんを目指しております。
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